のんびり日記

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長谷川等伯『松林図屏風』

作品の解説や紹介が目的ではありません。正しい/正しくないなどは置いておいて、自分の感じたこと、考えたこと、想像したことを自由に書きたいと思います

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長谷川等伯『松林図屏風』(参照:https://www.tnm.jp/modules/r_collection/index.php?controller=dtl_img&size=L&colid=A10471&t=

今日は長谷川等伯の松林図屏風について見てみたいと思います。

長谷川等伯の得意とする墨の濃淡で表現する空間操作は何を生み出しであろうか。一番最初に感じたのは余白。それは画面に何も描かれていない空白の部分を指しているのではなく、絵がそれ単体では完結していないということ。つまり鑑賞者が入り込み、そしてさまよい、自由に歩き回れる余白が存在しているということ。この絵ではそれが顕著だ。画面中央と右端に濃い墨描かれた木の間には余白が存在する。余白に向けて墨の濃度が薄くなって木が描かれている。まるでその先の余白の世界へ迎え入れらている気持ちさえしてくる。墨の濃度のグラデーションに僕の体がふわっと絵に入り込んでいける感覚がある。等伯が描いたのはあくまでも入り口まででそこから先の世界は鑑賞者次第によって変化し、全く同じ世界は存在し得ない。

もう一点注目すべき点は、枝についている葉の描き方。無数の鋭い線の重なりで描かれているのがみてわかる。墨の濃淡関係なく、全ての木の枝につく葉は同じように描かれている。なぜそのように描いたのであろうか。最初に見た時の感想は、動物の毛に似ているなということ。しかも単なる毛ではなく、動物が怒った時や威嚇している時の毛が逆立っている感じに似ているなという印象を受けた。何か、木の持つ生命力を表現する手法としての線描画なのかもしれない。

今回はこの辺で終わります、では!