のんびり日記

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雪舟 「秋冬山水図」

作品の解説や紹介が目的ではありません。正しい/正しくないなどは置いておいて、自分の感じたこと、考えたこと、想像したことを自由に書きたいと思います。

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参照:(東京国立博物館)

雪舟の「秋冬山水図」という絵について見ていきたいと思います。

雪舟の代表作の一つであると同時に非常に理解するのが難しい。本当にこの絵を理解しようと思うと長い時間を要するだろうから少しずつ見ていくことにする。
以前紹介した別の雪舟の絵でもそうだったが、今回の風景がでもやはり家や建物、人間が自然の中に描かれている。人間と自然に境界を作り、観賞もしくは観察の対象としての自然ではなく、明確な境界線がない上に、相反する関係としてではなく、人間の営みそのものが自然の一部であり、共存関係を結んでいる姿が描かれている。それは西洋において風景画が描かれる際のロジックとは大きく異なるように思われる。
画面中央下側に階段を歩いている人が描かれている。また画面奥には家らしき建築物が見える。鑑賞者は自然と、この人があの建物に向かって歩いてきたんだ、もしくはそこを目指して今歩いているんだろうなと感じることができる。だから過去、現在、未来の3つの時間軸が鑑賞者の頭を流れることになる。

秋冬両方の絵に言えることだが、黒い点が目に留まる。この二作品以外にも、黒のドットはよく描かれているが、今まで考えてこなかったのでここで考えてみる。何かを抽象的に意味している記号として役割を果たしているのだろうと推測できる。
まずドットが打たれている場所を見てみる。山肌、岩、道脇、木の根元、木の表皮など、どちらかと言うと、ゴツゴツザラザラしたような場所にこのドットが打たれている。対して家や人間に対してドットが用いられることはほぼない。このドットを考えるのは深入りしすぎてしまいそうだから、また別の機会を作ってそこで考えてみようと思う。

では本題の冬の方の絵の黒い線について考えてみる。
この絵の構図自体は珍しいものではなく、以前本ブログで取り扱った四季山水図と似たようなところがある。異なる点は、山を細かく描写しているのではなく表面の質感がわかるように粗く上下左右に筆を滑らしているのがわかる程度で、ほとんどが余白となって背景に消えていく点である。
正直な所、この絵は全く訳が分からない。何があってこういった描き方になったのだろうか・・・
季節は冬。画面奥の山とかは雪に覆われているのがすぐに分かる。余白となって描画されていない山の部分も雪による影響だとも言えなくもない。
やはり、表面の一部を描いているのは、山として認識できる最低限に留めておいて、後は余白を描きたかったのだろう。
いや、もはや異次元の別世界が乱入してきたのではないかとさえ感じようになってきた。

何一つわかったことは無いけど、しぶとく研究を続けていこうと思います。
今回はとりとめもない感じですが、ここらで終わりにします。