のんびり日記

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明兆 「達磨図」

作品の解説や紹介が目的ではありません。正しい/正しくないなどは置いておいて、自分の感じたこと、考えたこと、想像したことを自由に書きたいと思います。

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明兆は室町時代に日本での水墨画の道を切り開いた人である。

この達磨の衣服における太い線見覚えないだろうか?そう、雪舟の慧可断臂図で描かれている達磨の衣服の線と似ている。実際、明兆がいた東福寺雪舟も滞在していた時期があったみたいだから、単なる偶然ではないだろう。

そもそも達磨とは一体誰なのか。Wikipediaによると、

菩提達磨は、中国禅宗の開祖とされているインド人仏教僧である。

らしい。この絵で 達磨がいるのはどこだろうか。木や葉のツタのようなものも見えるから、自然の中であろう。靴を脱いで座禅を組んでいるのがわかる。周りの雲は彼の存在感を際立たせるための一種の演出だろう。雲の輪郭ではなく、ほんの少し内側に線を引いているのが特徴的だ。

力強い眼差しが鑑賞者と出会う。全てを見抜かれてしまっているような錯覚に陥る。

やっぱりこの絵で一番面白いのは衣服で用いられている線だろう。服や木における線を見てもわかる通り、基本的には彼の線は太くて力強い。しかし達磨の眉毛や髭を見ると、いかに彼が繊細な線を引いているかがわかる。ということは何か意図があって、太い線を描いていると言える。では、なぜだろうか。
その前に少し。僧侶が身に羽織っている布のことを袈裟と呼ぶらしい。私自身、小中学校時代に仏教国タイに2年半ほど住んでいてたことがあり、その時にこの達磨と同じようなオレンジ色の袈裟を身に付いている僧侶をたくさん見た記憶がある。
話を戻して、もう一度衣服に描かれた線について考えてみる。当時は今以上に宗教が力を持っていたことだろう。上記のwikiの説明からもわかる通り達磨は僧侶の中でも格が違う。彼の威圧感や存在感の大きさというのは、目を見ればわかる。鑑賞者に向けられた鋭い眼光は全てがお見通しであるかのよう訴えかけてくる。もちろん、明兆が生きていた時代には達磨はいないわけで、神話の人物を描いているに過ぎないのだろうが、達磨の目力、何にも動じないと言わんばかりの存在感、そして雲による演出など、明兆がいかに達磨の偉大さを表現するかに凝っているのがわかるだろう。衣服に用いられた線もその一つではないだろうか。基本的に線が描かれているのは、服のシワの部分だろうから、必然的に線は達磨の体に沿って形を変えていく。それがまた、彼の着ている袈裟を袈裟以上のもの、ある種のオーラのようなものに飛翔させているように思えてくる。
見れば見るほどに、達磨の周りの空間自体が彼の存在に影響を受けているように見えてくる。飲み込んでくる自然に対して、飲み込まれるでもなく跳ね返すでもなく、何か絶妙なバランス感覚を持って自然そのものに同化してしまっている気さえしてくる。衣服における線も達磨とその他自然を分ける境界線としての線ではなく、むしろ自然と達磨を結びつける役割を担っているのであり、達磨は自然となり自然は達磨となり得るには線がこのように描かれたのは必然だったのかもしれない。

ではでは。