のんびり日記

のんびり生きましょう

teamlab borderless

 こんにちは。
タイトル通りteamlab borderlessに行ってきました。2回目ですが。

体験を言語化することは自分が何を感じたか再度考える良いきっかけになる。しかし注意も必要である。言語化しようと体験することはいけない。頭で体験を理解しようとすれば、複雑なものを複雑なまま、ただただ受け入れるということを忘れてしまうからだ。昨日はそのことを念頭に置いていたので、teamlab borderlessに居る時は、言語化することなど考えずにただただその世界をそのまま受け入れ、さまよい、そして発見することだけを考えていた。だからここでは1日経った今心に残る言語化されていないそのふわふわしたものについてほんのり考える程度にしたい。

teamlab borderlessは知っての通り巨大だ。とにかく迷う。自分がどこにいるかもわからない。その分何時間遊んでも飽きることは決してない。
2、3時間経過した頃らへんからだろうか、

「ここに1週間閉じ込められたらどうなるだろうか?」

という訳の分からないことを考えている自分がいた。
僕は三半規管がすこぶる弱いし、眼も刺激に強くない。
だからカラスの作品や光の彫刻の作品は大好きだけど、その空間に何時間もいることはできないだろう。かと言って、トランポリンを何時間も跳び続けることは身体的限界もあるし、塗り絵にも限界がある。

そこで出会ったのが「Black waves」という空間全体が波に覆われた作品である。

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teamlabの作品群はyoutubeにあがっているので見て欲しい。

この作品はインスタ映えスポットとしても人気な場所だが、それだけで終わらせるには非常に惜しい。空間の中央にはクッションが置かれていて、休憩している人たちが大勢いることに気がついた。自分も周りに合わせて座っていたら、とてもリラックスしている自分がそこにいた。
先ほどの問いに対する答えるなら閉じ込められる1週間のうち6日と20時間くらいはここにいるだろうと直感した。おそらくそれは僕だけが感じたことではなく、多くの人も同じ気持ちになったのだろうと休んでいる人の姿から推測できた。

その空間にいた時はただただ無でいれたので何も考える気持ちが起こらなかったのだが、1日経った今ここで改めてその理由について考えてみたいと思う。

確かにあの波に囲まれた空間に入った瞬間から何か他の空間とは違う気がしたのを覚えている。ただただ流れる波。それはどこから来て、どこへ向かっているのだろうか。いや、おそらくどこから来たのでもなく、そしてどこかへと向かっているわけでもない。ただただそこに存在する。何一つとして意味を持つことなくただただ運動を繰り返す。その世界に自らの身体を没入させることで、自分の存在に対する意味を問われることもなく、ただただそこに在る自分の存在が肯定されている気がしていたのかもしれない。

またあの空間に流れる時間は確実に我々人間が生きる上での時間感覚を超越していたように思える。それはどういうことか。人間は生まれてから死ぬという面で見れば有限な時間を生きている。その時間は過程が直線的であれ非直線的であれ始点から終点へと向かっていることに変わりない。それとは対照的に「Black waves」の世界に流れていた時間は始まりもなければ終わりもないし、もはや時間という概念が存在しないのではないかとさえ思ってしまう。確かにあの空間にいた時、視界に入るもの全てが波であったがために、地球上にまだ生命が存在しなかった時代にタイムスリップしたかのような気持ちになったのを覚えている。時間という概念が存在しないというよりかは、スケールがあまりにも壮大で、そして人間一人の生きる時間とはあまりにもかけ離れているが故に、あたかも時が止まっているかのような錯覚に陥っていたのかもしれない。だからこそ、僕は何時間でも居続けられると直感したのかもしれない。

修行を経て悟りの境地に達した人達の時間感覚はもしかしたらこのような非常のスケールの大きなもので、そうであるためにしばしば死をも超越した存在として崇められるのかもしれないと思った。そんな悟りの境地に達した人たちのみぞ知る世界をほんの少しでも覗かせてくれる「Black waves」。是非とも他の人にも足を運んで体験してもらいたい。