のんびり日記

のんびり生きましょう

雪舟 「四季山水図」

作品の解説や紹介が目的ではありません。正しい/正しくないなどは置いておいて、自分の感じたこと、考えたこと、想像したことを自由に書きたいと思います。

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『出典元:日本の美術(url:https://j-art.hix05.com/)』

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『出典元:文化遺産オンライン(url:文化遺産オンライン)』

今日は雪舟の四季山水図について見ていく。
上の4幅は雪舟が中国にいた際に描いたものとされているが、下は知らない。おそらく、下4幅は中国に行く前の雪舟が描いたものではないかと思われる。
サイズ感としては上4幅は143.9x75.7で下4幅は70.6x44.3なので、結構でかい。

上4幅と下4幅、全てに関して、似たような構図になっている。山水画としての型を引き継いでのことだろう。中心に大きくそびえ立つ山(と呼んでいいか分からないが)のプレゼンスはすごい。
四季山水図なので、それぞれ場所は違うものの春夏秋冬の季節で描いている訳だが、四季の移り変わりが主題であるようにはあまり思えない。

下4幅の方が荒っぽい。岩壁の表現に用いている線や点が力強くも荒々しさを感じる。
上4幅の方がどちらかと言うと、湿っぽさがある。霧っぽい霞んだ表現は上4幅の方が洗練されている感はあるが、個人的な感想では下4幅の荒っぽい方が筆に込めた力強さが感じられて好きだ。

水墨画というジャンル全体にも言える話だが、やはり雪舟は対象の複雑な表皮や形、質感をいかに精密かつ写実的に描けるかというレールから外れて、いかにその複雑さを筆の勢いやら線の扱いで、つまり対象に向かう彼の精神性そのものをどのようにして表現するかということに晩年取り組んでいたのだと思う。

また非常に面白いのが、8つ全ての絵に共通して家と人間が描かれている。そう、単に自然を描いているのではなく、自然の中で起きている人間の営みがそこには描かれている。自然がメインであれば、自然だけを描けばいいが、そうはなっていない。人というよりかは人の生活感や営みが絵には必要だったのだ。そのほうが美しかったのだろう。明確に主体としての人間、客体としての自然という線引きが存在しなかったために、自然の中に生きる人間、その共存関係こそが彼らにとってのnaturalであったことが絵から感じられる。
雪舟の描く絵を見ていたら自然のなかでいかに人間がちっぽけであるかがわかる。線に込められた思いから、彼の自然に対する恐怖、そして偉大さへの尊敬のようなものが感じられる。その巨大で力強い存在であることを認めると同時に、自然に歩み寄り共存を図る人間の姿とそれを受け入れる自然の寛大さ、そのいつ崩れ去るかわからないという奇跡的であり絶妙な関係性が彼の目には美しく映ったのだろう。

ではでは