のんびり日記

のんびり生きましょう

Pablo Picasso 「Nude woman with necklace」

作品の解説や紹介が目的ではありません。正しい/正しくないなどは置いておいて、自分の感じたこと、考えたこと、想像したことを自由に書きたいと思います。

 

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今日は20世紀を代表する作家パブロピカソの作品を見たいと思います。

 

人は良くピカソの作品は分からないと言う。もちろん、僕もその一人である。現代美術としてのコンセプトや歴史の流れの知識を持ち合わせていないとも言えるが、鑑賞において作品を”知る”こと以上にそこから何を見つけるか、感じるかの方が自分にとっては大切だと思っているから、今日も屈せずにアタックしてみたい。

 

一体”何”が分からないのか。言ってしまえば、子供が描いたような作品がなぜここまで美しいとされ評価されているかが分からないのであろう。少なくとも言えることはそれまでの美の基準(何が美しいか)がこの作家の前には通用せず、全く別次元の”美”が実現されていると言うことだ。

 

何が描かれているのかをまず見てみよう。女の人が赤色のソファーか何かにもたれかかっていて、こちらを凝視している。背景が壁なのか、空なのか、はっきりとしたことは分からない。女性は輪郭が黒色で塗られているため、かろうじてポージングやそれが体の部位のどこを表しているのかがわかる。

色に関しては普通ではない。何層にも塗り重ねられている場所もあれば、背景と同化してしまっている箇所もある。なぜ胸や股間は緑色なのだろうか。女性を産み出す能力を持ち合わせた大地と考えると、生殖活動と関連する胸や股間を自然と捉え、緑色に塗ったのかもしれない。

 

セザンヌピカソらが発展させた対象を多面的に捉える方法はこの作品において、お尻が正面を向いているところで発揮されている。お尻が腰についているのは普通ではあり得ないだろう。だけど、ピカソにとってはそう見えたのであろうし、そうでなければいけない理由があったのだろう。ある一部部分を切り取って作り出される美に対して、また視点を固定してものを捉える方法に対抗するために、お尻は正面を向かなければいけなかったのかもしれない。

 

この女性にとって首飾りとは何なのか?首飾りは装飾品としてそれ自体が美であり、それを身につけた人までも美に転換することができるものであると認識されているだろう。この女性にとっても首飾りは自分自身をより美しく見せてくれるスーパーアイテムであっただろう。そんな首飾りの黒い点とお尻の穴の黒い点が同じように描かれている。まるで人類が夜空に浮かぶ星を結んで何かを見出したように、ネックレスの黒い点とお尻の穴、乳首などを結ぶここで何か現れてくる気がしてならないのは気のせいだろうか。

 

結局わかったようで分からない。見れば見るほど深みが増していくような。しかしそれがピカソの美なのかもしれない。今回の女性を例にとっても、造り上げられた”美”に対して、それをベストなスポット(一番美しく見える場所)から捉えるだけだったものに対して、その背後に消されているものも描きだすことにより、造り上げられた秩序はそこには存在しないけど、人間本来の複雑さ(美醜が混在している)をそのまま表現しているのかもしれない。そうであれば、カオスなものをカオスなままで消化することでしかピカソにとっての美に到達することは僕にはできないのかもしれないと感じました。

 

あくまで一人の人間が感じたことです。

ではでは。