のんびり日記

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富岡鉄斎「旧蝦夷風俗図」

作品の解説や紹介が目的ではありません。正しい/正しくないなどは置いておいて、自分の感じたこと、考えたこと、想像したことを自由に書きたいと思います

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出典:国立博物館所蔵品統合検索システム(https://colbase.nich.go.jp/collectionItems/view/12f08f3c06a62af80737925634848303/19589?lang=jpn)

今回は富岡鉄斎の「旧蝦夷風俗図」について見ていきたいと思います。
今回は左隻のみに絞って見て行きます。

鉄斎はなぜ旧蝦夷の生活に関心を集め、このような作品を描いたのだろうか。描かれたのは明治29年、西暦1896年の明治の社会やそこに生きる人々が忘れかけていた、失いつつあった鉄斎が頭に描いていた理想的な何かを蝦夷の人々の暮らしの中に見出したのであろう。猛烈な勢いで近代化が推し進められていた当時に、その影響を受けていない共同体の暮らしがそこにはあった。そんな彼らの暮らしについてみていきたい。

まず目に入るのは現代の家族とは違ったシステムによる共同体が形成されているということ。血縁関係の有無はもはや関係ない。各々が各々に役割を持ち、共同体としての全体のベクトルが統一されている。この共同体の行動は長期的な目標の達成のためのものではなく、今目の前にある解決しなければいけない事柄への集中である。人々が意気揚々と仕事に取り組んでいるように見えるのは、鉄斎の力量によるものだろうか。

賛の「七竅 未だ鑿たず」は荘子の句から来た。この句は「渾沌、七竅に死す」の説話から来ている。渾沌に人間と同じように、穴を開けたら渾沌が死んでしまったという話。七竅とは目、耳、鼻、口の7つの穴のことを指す。
渾沌は自然とみなすこともできるが、ここではもう少し広義的に巨大なシステムとしての自然とみると、その構造は複雑で常に変化し続けている、その名の通り混沌としたものである。七竅を開けるとは、その秩序のない渾沌に人間が秩序を与えんとしたことであり、そのことで渾沌が死んでしまったのである。渾沌は巨大で複雑であるが、同時に非常に繊細な面も持ち合わせている。人間が自然に対して理解していると思っている部分はほんの一部であり、しかもそれは人間に都合の良い解釈に過ぎない。

鉄斎は彼らの生活のどこから「七竅 未だ鑿たず」を感じたのだろうか。
彼らの自然との関わり方について見てみると、木々から家を立てようとしている人もいれば、川では何か洗っているのか、絹を水に流しているのか作業をしている人もいる。女性達は織物をしており、その側では子供達が遊んでいる。一見、木を切り倒して家を建てているわけだから、自然に悪影響を及ぼしていると思われるかもしれないが、そうではない。人間が生きていくために自然を利用することが渾沌に穴を開けることではない。渾沌に穴を開けるとは、どれだけ木を切り倒すかとか言った程度や量の問題ではなく(つまり自然への介入が多ければ悪で、少なければ善であると言うことではない)、当事者の自然に対する見方の問題である。
確かにこの絵の中の人々の行動は、彼らが生きていくためのものであり、彼らのその姿からは自然に対して秩序をもって支配するという気概は全く感じられない。生きていくために必要なのであり、それ以上でもそれ以下でもない。彼らの生活と自然とを切り離すことは決してでい訳で、彼らは無自覚的にもその事実を理解し、自然をただそこに存在するものとして見ているように思えてくる。

人類の自然との関わり方は永遠の課題でもある。もちろんサイエンスが自然を理解しようと築き上げてきたものは非常に価値あるものだが、それと自然とどう共存していくかというのは全くの別問題であるということは少なくとも理解しておく必要がある。